思ひ出のラーメン店。

2016年3月22日火曜日

日常

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こんにちは。地域医療連携室の佐藤です。

本日はあるラーメンの思い出について綴ってみたいと思います。

あれは私がまだ高校生だった頃のことです。

今も私はラーメンが好きですが、当時の私もやはりラーメンが好きで、
友達と共に「ラーメン部」なるものを作って活動しておりました。

ラーメン部と言いましても、特別何かの大会に出るだとか、誰かと競う
だとか、合宿に行くだとかしているわけではなく、単にラーメン好きが
集まってあちこち食べ歩く、というだけのものです。

その頃の移動手段と言えばほとんどが自転車でしたので、愛車にまたがり、
地元の色々なラーメン店に食べに行きました。

ラーメン部は完全なる非公認の部活でしたが、私は学校公認の運動部
にも所属しておりましたので、部活帰りや土曜の部活前など、とにかく
お腹が減っている場面ではよくラーメンを食べていた記憶があります。

自転車で行くには少しばかり遠いお店、小さな路地にあるお店、地元
の有名店、老舗のラーメン屋さん、オープンしたての新店舗、などなど、
随分とたくさんのラーメン店に足を運んだのですが、そんな中、なかなか
入ることができずにいたお店がありました。

私の通っていた高校のすぐ近くにあり、立地的には行きやすかったものの、
その外見がどうにも怪しげで、ラーメン部仲間のうちでも気にはなっていな
がら、その最初の一歩をお互いに譲り合うといった始末で、誰もが踏み込め
ずにいたのです。

しかし、ある日の夕方、確か私の記憶では自分を入れて3~4人程度だった
と思うのですが、ついにそのお店に行こうという決意を固めたのでした。

なぜ、その時に行くことになったのか、そこまでは記憶が定かではありません。

ただ、このままでは学校の近くにあるお店なのに、行かないまま卒業という
事態にもなりかねないから、それではラーメン部としていけない、自分達が
まず踏み込もうじゃないか、となったような記憶が、僅かに残っています。

そのラーメン屋さんの見た目は、どちらかというと喫茶店という雰囲気で、それも
当時の私からしても古めかしい感じの喫茶店のイメージで、「ラーメン」という看板
はありましたが、のれんはなく、窓もなく、木造のドアが黒ずんでいて、正直なところ
営業しているのかどうかさえもよくわからない、そんなお店でした。

お店自体は、地元の中では比較的大きな通りに面していたものの、その周辺
が活気に溢れているかと言えば全くそうではなく、シャッター街とまではいき
ませんが、かつては営業していたであろうお店の跡が目立つなど、10代の私
にとっては友達が一緒とは言え、結構な勇気のいる行動であったと思います。

おそるおそる、ゆっくりとお店のドアを開けて中をうかがうと、中には50代後半~
60代くらいの女性が一人おりました。

決して愛想が良いわけではなく、威勢の良い声が響くわけでもなく、かと言って頑固
なこだわりのある店主というわけでもなく、淡々と迎え入れられた記憶があります。

ラーメンの種類や、価格は、残念ながら覚えていません。

ただ、私は近年こそ味噌や、たまに塩や、あればとんこつなども好んで食べますが、
基本は醤油派のため、その時も迷わず醤油を注文しました。

お店の中は外観ほど怪しくはなかったものの、やはりラーメン店といった雰囲気は
ほとんどなく、全体的に木目を前面に出した造りで、薄暗く、カウンター席が確か
5~6つほどと、4人がけのテーブル席が1つか2つで、やけに店内の床がべた
ついていた、ということを覚えています。

私たちはカウンターの席に座ったのですが、目の前にいる女性はラーメンを
作りながら、「飴、食べな」と言うのでよく見てみると、瓶に入った飴が置いて
あり、ラーメン部の仲間達と顔を見合わせながら、そしてその何とも言えない
雰囲気に笑いが出てきそうになるのを堪えながら飴を口に放り、ラーメンの
完成を待ちました。

出てきたラーメンは、佐藤的な表現をそのまま使わせていただければ、「すごく
醤油醤油した醤油ラーメン」ということになります。

背脂やとんこつなどの影は全くなく、あっさり風の醤油ということでもなく、濃く、
黒い醤油そのものとも言えるスープで、麺は太めのちぢれ麺で、長ねぎと、昔
ながらの煮豚といったチャーシューと、確かメンマがのっていました。

非常にシンプルなラーメンです。

その当時は今のようにラーメンの種類が多様化していたわけではありません
でしたが、それでも、まさに醤油、というその見た目に、ここまでわかりやすい
のはなかなかないな、と思いました。

食べてみると、醤油の良い香りとコクがあって、しつこさはまるでなく、スープが
よく麺にからんでいて、食べ飽きることのないすごく美味しいラーメンだったのです。

ラーメン部の仲間達も「うまい」を連発し、その情報は他の部員にも伝え、私達は
そのお店の常連となりました。

最初は怪しげだと思っていた外観も慣れれば全く気にならなくなり、一人でやって
いるという女性店主とも段々と親しくなり、カウンターにある飴もラーメンを待つ
間だけではなく食べた後にももらって帰るようになったり、時にサービスで大盛り
にしてくれたり、何も言わずにチャーシュー麺にしてくれたりなどもありました。

その時は、見た目だけで判断してはいけないな、どんなことでもまずはチャレンジ
してみると良いこともあるものだな、と学んだような気がします。

ところが、ある日お店を訪れると定休日ではないのに、閉まっており、その状態
はしばらく続きました。

心配していたところ、またお店が開いたので何人かで行ってみると、中には50代
くらいの男性がいて、その方がラーメンを作っていたのです。

私達はどういうことかと思いながらもラーメンを注文して食べたのですが、その
味の根幹はこれまでに食べてきたものと大差はないものの、どこか一味足り
ないような感じで、「味、変わったよね」というようなことを仲間内で話しました。

店内の雰囲気もこれまでとは違っていて、臨時でその方がお店を任されている
というものではないような気がしました。

その後も何度か足を運んでみたものの、女性店主の方の姿を目にすることは
一度もなく、またラーメンの味もやはりどこか物足りないままの状態が続いて
いたのです。

やがて私達も卒業となり、それぞれに地元を離れて進学や就職をしたのですが、
次にそのお店の前を通った時には、残念ながら閉店してしまっておりました。

なぜ、女性店主の方はいなくなってしまったのか、その後を継いでいた方は
何者なのか、それは今も謎のままです。

その当時のラーメン部員は私と同じ札幌で働いている者もいれば、東京や
横浜で働いている者、地元に戻って就職した者、様々ですが、何年振りか
に会った時にも、そのラーメン店の話題になることがあります。

あの時、なぜ店主が変わったのかを聞けばよかったね、というような話に
なることもあるのですが、聞くことが正解だったのか、それはそれで謎の
ままにしておいてよかったのか、わかりません。

ただ、自分達が高校生という人生におけるその時限定の3年間を過ごした
場所の近くに、お店の見た目はどうかなと思っても、心優しい店主の作る
美味しいラーメン屋さんがあったことは事実なのです。

もう一度あのラーメンを食べてみたいものだな、という思いは間違いなく
あります。

そして、現在のように多くの情報が簡単に手に入るようになった今であれば、
その気になればラーメン店のことを調べることができるのではないか、という
気もしています。

ただ、実際に行動はしていません。

もしもこのブログをご覧の皆様の中で、もしかしてそのラーメン屋さんって、
自分が知っているあのお店かもしれない、という方がおりましたら、ぜひとも
佐藤までご一報いただければと思います。

また、ご興味のある方には、お店の名前やそれ以外の特徴などもお伝えいたします。

暖かくなってきたかと思いきや気温の低い日が続いたためか、何ともラーメン
が食べたいなと感じており、そのお店のことを思い出したため書いてみました。

皆様の中にも今は食べることができない思い出の味がある、という方がおりまし
たら、ぜひお聞かせください。

それでは。

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