みなさんこんにちは、医事課の濱田と申します。
私は、昨年の10月に系列のイムス札幌消化器中央総合病院より異動して来ました。
このブログに何を書こうか考えましたが、先日のブログ 「イムス札幌内科温泉リハビリテーション病院」で
当院の玄関にある手稲区史跡案内板に「温泉が出たと」ありましたが、そもそもなぜこの場所に病院が
あるのだろうと前から不思議に思っていました。
私は出身が札幌ではないので詳しくはないのですが、昔から歴史が
好きで子供の頃はよく歴史もののマンガを読んだりゲームをしたりしていました。
そこで少しこの辺りの歴史について興味が湧いたので調べてみようと思いました。
まず思いついたのが手稲区のホームページです。
手稲区役所のホームページの「手稲のまちの案内板」の金山地区の紹介には、
「金山は、『手稲鉱山』の繁栄とともに築かれたまちです。この地は、
もともと星置の一部でしたが、星置川で砂金が見つかったことなどから、
金の山、きんざんと呼ばれるようになり、昭和17年の字名改正の時に正式に金山(かなやま)と名付けられました。
手稲鉱山は、明治24年に鳥谷部弥平治(とりやべやへいじ)が偶然金鉱を発見し、
昭和10年、三菱鉱業が本格的に金の採取を開始。
最盛期には、東洋一の選鉱場、鉱山ケーブル、滝の沢温泉(現在のイムス札幌内科リハビリテーション病院付近)、
星置小学校(現在の手稲西小学校)、劇場などがあり、人口は8,000人以上も居たといわれ、
そのにぎわいは鉱山が経営を縮小する昭和20年ごろまで続きました。
引用:札幌市手稲区ホームページ
「https://www.city.sapporo.jp/teine/index.html」
とありました。
当院の名前も出て来ました。鉱山があったことはどこかで聞いた気がしますが、
自分の勤務する病院と関わりがあったとは思いませんでした。
病院自体の歴史もそうですが、手稲鉱山の歴史も明治時代からあるようですし
もう少し掘り下げてみようかなと思いました。