病院のルーツ

2022年9月22日木曜日

病院の歴史

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こんにちは、医事課の濱田です。

 

前回に引き続き、当院が位置する金山地区の「鉱山の歴史」についてお話したいと思います。 


手稲区役所のホームページによると手稲金山は、


「国内で1、2位を争う金山として君臨してきましたが、昭和18年(1943)4月、国の政策が急転換し、全国の金山が整理されることになりました。

手稲鉱山も金山としての停止されましたが、銅も豊富に採れたため、銅鉱山として再出発することになりました。」

 ※『手稲でみつけた手稲のはなし  15.手稲鉱山~鉱山の泣き笑い』より

 

終戦後は、操業規模を縮小し、昭和25年(1950)秋に休山状態になり、その後も、高品位の残鉱を手掘りにより採掘を続けましたが、

昭和46年(1971)手稲鉱山は完全閉山となり、約80年にわたった歴史を閉じました。

 

なお、休廃止鉱山では「坑廃水」と呼ばれる堀採した地下から出る水や集積場から流出する水の水質の管理を長期間行う必要があるため

現在も処理施設おかれていることがわかりました。

 

そのため、この手稲鉱山の最盛期は、昭和10年代であり住宅街や学校、郵便局、駐在所がどんどん整備されていったようで、

そのなかで昭和 15(1940)年、温泉付きの診療所が開設されたとのことです。(「三菱手稲鉱山診療所」)

 

この診療所が『イムス札幌内科リハビリテーション病院』のルーツになっているそうです。


昭和15年からだと80年以上の歴史があることになります。

思ったよりも結構昔からあるんだなぁと思いました。


次回以降もこちらのブログで、当院の歴史について皆さまにお伝えできればと思っています。

  

参考:札幌市手稲区ホームページ

   手稲最大の産業遺産「金が採れた山『手稲鉱山』」


        

         <昭和15年頃の三菱手稲鉱山診療所の姿>

      (手稲最大の産業遺産「金が採れたヤマ『手稲鉱山』」より

       手稲郷土史研究会「手稲鉱山のあらまし」掲載写真)

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